ノアは、お父さんに見送られながら
旅立ちの第一歩を踏み出しました。
ノアは思い出します。
今まではお父さんに
家の周りから
歩いて半日以上かかるところまでは
行ってはいけないよ
と教えられていたので
いつも住んでいるこの森
「眠りの森」から
1度も出たことが無かったことを。
そしてお父さんに、こう念を押されていました。
森の中で遊んだ後は
日の入り前には必ず帰って来るんだよ、と。
その約束を破ってしまうと
お父さんに夕ご飯を抜きにさせられてしまうのです。
今までノアは何度か、夜になるまで
家に帰ってこれなかったことがあります。
その都度、お父さんは
強く叱ることはありませんでしたが
約束通りに帰る、というきまりを破ると
美味しそうなクリームシチューや
くるみパンの匂いがするなか
お水しか飲ませてもらえないものですから
ノアは日の入りの帰宅に間に合わない度
とてもとても反省するのでした。
こんなイヤな思いは2度とごめんだ
と、いつも心に誓うのですが
それでもノアは、それから何日か経つと
思い切った行動に出るのです。
それは、お日様の日の出と共に家を飛び出して
一生懸命、森の中を、全力で走り抜けることでした。
ノアは、どうしても
この眠りの森の、外の世界を、見てみたかったのです。
お日様が1番てっぺんに登る前までに
この森の外から一歩でも出られたらなら
それから引き返せば日の入りまでに家に帰れる
そうすれば夕ご飯だって食べられるし
何よりも
この森じゃない、外の景色を見ることが出来る!
そのワクワクする気持ちが抑えられなくなると
ノアは一生懸命、眠りの森を走り出すのです。
けれども結局、どんなに頑張って走っても
お日様がてっぺんに昇った頃には
ノアはまだ、眠りの森の中から出ることは出来ませんでした。
そしてきまって、がっかりした気持ちと
全力で走り続けた疲れが重なって
折り返した後の足取りが遅くなってしまうものですから
家に着く頃には、すっかり
お日様が沈み終わった時間になってしまうのでした。
これからは、そんな無茶なことをすることもなく
眠りの森の外に出られるんだ…!
そう思うとノアは、自然と足取りが軽くなり
嬉しくて両耳がピッピと動いてしまいます。
けれどもノアは、どうしても
お父さんが出発前に話した言葉と
何よりもその時に見せた
お父さんの表情が気になって
どこか、胸やお腹のあたりに
釣り針が引っかかっているような感覚を
拭えきれていませんでした。
「ねじ巻き山の白い鳥、イトにはまだ、近づかないほうが良いよ」
そう言ったときのお父さんの表情は
怒ってはいないけれども、ちょっぴり怖くて
僕は何も悪いことはしていないけれども
なぜか、「ごめんなさい」って言ってしまいたくなるような…
「ねじ巻き山の、白い鳥…」
ノアがそう呟くと
「おやおや、君には僕が、白い鳥に見えるのかい?」
そんな声が、どこからともなく
ノアに向かって話かけてきました。
「誰? どこ?」
ノアは、キュッと足を止めて、そう言いました。すると
「なあんだ、僕が見えていたわけじゃないのかい。ははは!」
そんな笑い声と共に
ノアの視線の少し上
高枝の止まり木から、ぼんやりと
白くて、黄土色をしていて…
いいえ、周りの景色に溶け込むような色をした
一羽の小さい鳥が姿を表しました。
「やあ、初めまして。僕はドリー。
珍しいね。君がここを、走らずにゆっくり歩いているなんて!」
ドリーと名乗る小さい鳥は
その場でパタパタと羽を広げていました。
ノアはドリーをじっと見つめてみたのですが
ドリーの体の色が、いまいちはっきり分かりません。
…白…?緑色…?
あれ、また黄土色に変わった…。
…わあ、周りの色と…!
「そうそう、僕の体は透けているのさ!
厳密に言うと、薄い黄色をしてるんだけれども
透けてしまうからほとんど関係ないね!」
そう言うとドリーは、止まり木からタッと離れて
ノアの周りをくるくると3周したあと
ノアの肩に止まってきました。
ドリーはノアの肩の上で
羽根の裏側をクチバシで毛づくろいしながら
「君のことは何度も見たことがあるよ!
この森で、あんなに一生懸命走る
フェネックギツネなんて見たことがなかったから
初めて見た時は驚いたよ!
どうしてあんなに、もっと早く、もっと速くって
走っていたりしたんだい?
それに、今はゆっくり歩いているのも
かえって不思議だね!?」
と、活発的な声色で
興味津々に、ノアへ質問をしてきました。
ノアはドリーに
どうしてもこの森の外の世界を見たかったこと
日の入りまでに家に帰らないと
お父さんに夕ご飯を抜きにさせられてしまうこと
「どうして、僕の体はおぼろげなんだろう」という
答えを見つけたくて、旅を始めたこと
それらを順に伝えていきました。
するとドリーは、嬉しそうに
羽根をパタパタとはためかせながら
「へえー!旅に出始めたばかりなんだ!
それはとても良いことだと思うよ!」
と、毛づくろい半分
ノアへの目配せ半分にしつつ
「ノア、この世界はとても広くて
色々な動物たちが居る。
この眠りの森には居ない
不思議な不思議な動物たちがね!」
軽くウィンクをしながら言いました。
ドリーのその言葉を聴いてノアは
より一層、胸が高鳴りました。
「やっぱりそうなんだ!
ドリー!
僕に、今まで見た中で1番驚いた動物を教えて!」
ノアは耳をひゅんひゅんと踊らせながら
ドリーにそう言いました。
ところがドリーは
すぐに、こう返しました。
「それは言えないな!
なぜなら、僕が見える世界と
君が見える世界は、きっと違うから!」
「見える世界が、違う…?」
ノアは、ドリーに言われたことがよく分からず
耳が、シュンと落ちてしまいました。
「ははは!
ちょっとイジワルな返し方だったかな?
ごめんごめん。
でも、僕と君は仲間だと思うよ。
僕は透けていて、君はおぼろげ。
どうだい?ちょっぴり似てると思わないかい!?」
ドリーはそう言うと毛づくろいをやめて
再びパタパタとノアの周りを飛び回り始めました。
ノアは、ドリーの、その快活に飛び回る姿を
まじまじと見つめました。
翼はもちろんのこと、ドリーの体は
クチバシも、両足も
周りの景色が透けて見えては
光の差し込み具合で
その色が次々ときれいに変わっていくのです。
そしてドリーは
先程乗っていたノアの肩とは
逆側の肩に再び止まり
ノアの目をじっと見つめながら、こう聞きました。
「ノア。自分の体がどうしておぼろげなのか、不思議に思うかい?」
ノアは、少しびっくりして
「えっ。…うん。すごく不思議に思うよ」
と答えました。
「だって、他の生きものたちや植物たちは
みんなハッキリとしているのに
僕とお父さんだけ、おぼろげなんだもの。
どうしてなんだろう、って思うよ」
「悔しいかい?」
「えっ!?」
ノアは、ドリーが思いもよらない質問をしてきたので
全身が、とてもビクっとしてしました。
それにつられて肩に乗っていたドリーも
ふわっと浮いて、また肩に乗っかるくらいに。
「悔しいかどうか、かあ…
ドリー、それは考えたことが無かったよ」
ノアはちょっぴり頭を悩ませて
そんな気持ちになったことがあったかを思い出そうと
うーん、と下を向き始めてしまいました。
「ははは!何だか僕は君に
イジワルをしてばっかりだね!
ごめんごめん!」
そう軽やかにドリーは言うと
フッと、表情を変えて
「僕はねノア。
悔しかったんだよ。
自分の体が透けてしまうことが」
と、今までの威勢のよい話し方とは裏腹に
昔を懐かしむような、少し悲しい表情を浮かべました。
そして、こんな話を始めたのです。
「色鮮やかな体をしている鳥は
同じように色鮮やかな鳥たちと一緒に遊ぶ。
地味な色をした体の鳥たちは
同じように地味な色の鳥たちと
読んだ本の話を楽しむ。
黒一色の鳥や、白一色の鳥たちは
同じ全身一色の体をした鳥たちと一緒に
日々の生活を営む。
僕は、そのどこにも属すことが出来なかったんだ。
決まった色をしていないからね。
どのグループにも、何となく関わっては
何となく楽しんではいたけれど
どこかで、かすかに
『ここは僕の、本当の居場所ではない』
という違和感が常にあったんだ。
みんなは間違えなく『グループの一員』だけれども
僕だけは、グループの外から来た鳥なんだ。
どこに居ても、何をしていてもね」
ノアは、ドリーの気持ちはもしかしたら
「どうして林檎は赤いんだと思う?」
と、質問をした時に返ってくる
友達たちの怪訝そうな顔を見た時の
水玉の中でフワフワと浮いているような感覚と
似ているのかもしれないな、と思いました。
ドリーは続けました。
「ノア、僕の体は元々、もっともっと透けていたんだよ。
それがとても辛くて、悔しくて
僕も君と同じように旅に出たことがあるのさ。
どこか、遠い世界に行けたならば
僕の体にも色が授かれるんじゃないか、って
そんな期待を持ちながらね」
ノアは、ちょっぴり自分が恥ずかしくなりました。
なぜかというと
「鳥はその翼でどこまでも
どんな世界にも行くことが出来る」
「もし僕にも翼があったならば
僕の体がおぼろげだったとしても
きっと、もっと
世界中に仲間が出来て
僕は最初から小難しいことを
考えなかったんじゃないか」
何となくそう思っていたところがありました。
けれども、ドリーの話を聴いて
自分の想像が浅はかだった。とノアは思ったのでした。
「ドリー、ごめんなさい。
僕は、空を飛べる鳥たちにも
そんな悩みを持つだなんて
考えたこともなかったよ。
それで、ドリーは、今も旅を続けているのかい」
ドリーは優しく微笑みながら
話を再開しました。
「その旅の途中で、とある絵描きに出会ってね。
彼女も旅をしながら、絵を描いていたんだ。
けれども、彼女の本当の能力は
絵を描くことじゃない。
なんとその絵描きこそ
生きものの体を、本当の色へと描き直せる
魔法のような絵描きだったんだ!
彼女に色を描き直された動物たちは
ある者は、より自分らしく彩られ
ある者は、自分では気がつけなかった
素晴らしい色に様変わり出来るって言うじゃないか。
早速僕も、その絵描きに
体の色を描き直してほしい、って頼んだよ!
そりゃあ、ワクワクしたよ!
虹色インコのような色鮮やかな色になるのか!
カラスのような黒色一色になるのか!
白鳥のように白色一色になるのか!
けれども、僕の体は見ての通り
少しだけ黄色くなったけれども、透けたままだ。
絵描きは、悲しそうに言ったよ。
『これが、あなたの本当の色です』
ってね。
僕は心底絶望して、旅をする理由を失った。
そのまま故郷へ向かったんだ」
悲しい過去の記憶を話すドリーの表情は
少しくすんでいました。
ノアは、何と話しかけて良いか分からず
ドリーの表情から目をそらして
眠りの森を眺めることしか出来ません。
「でもね、ノア」
そんなやり場を失ったノアを
逆に慰めるようにドリーはこう言ったのです。
「ある日僕は、ものすごい発見をしたんだ」
ノアは改めて
微かに黄色い体をした
ドリーに目を配りました。
「ものすごい、発見?」
ノアは、こちらをじっと見つめるドリーを見て
とてもきれいな体だ、と改めて感じながら
ドリーがどんな発見をしたのか、言葉を待ちます。
「それはね、帰った故郷の村で
ある出来事を見たときだったんだ。
ある出来事と言っても、大したことじゃない。
時折あるような、特段珍しくない出来事だよ。
一羽の白鳥と、一羽のカラスが
何でも無い下らないことで喧嘩を始めたんだ。
それぞれの縄張りの餌を
食べた、食べていないとか
そういう話だった。
二羽とも一向に引き下がらずに
そのうち、他の白鳥やカラスたちも
野次馬で集まって来た頃
白鳥がこう言ったんだ。
『何よ!黒色のカラス!
あんた達なんて真夜中だって
真っ黒い体をしてるんだから
一体何をして回ってるんだか
知れたもんじゃないわ!』
って。
根拠もない言われをしたカラスたちは
あるものはとても怒り
またあるものはその仲裁に入って
怒ったカラスに突かれた白鳥たちも同じように
攻撃をし返すものと
それを鎮めようと止めにかかるもの
あっという間にその場が騒然となった」
そう言うとドリーは
視線をノアから外しました。
そして、どこを見るとでもない
遠くの方なのか、目の前を見ているのか
その両方を交互に見ているのか。
ドリーは詩を読むように語り始めました。
「たくさんのカラスと白鳥たちが
東と西に分かれて群れをなした
その規模が時間を追うごとに
大きくなっていき
またしばらく経つと
中心の、白鳥とカラスの境目に向かって
ぎゅーっと縮こまったりする鳥の群れたち
大きくもあり 小さくも見える
ただ、ハッキリと白と黒とが分かれた
交わっているようで
決して交わることのない線がある
その境界線だけが
左右に波打ち
上下に形を変え
時に広がり、時に接近して
それはまるで、その境界線が
生きものであるかのように
揺れ動いているようにも見える
『ああ…騒動だ…』
僕はねノア、その時に
雷に打たてたような衝撃が体中に走ったんだ
『そうか。色があるからこそ居場所が用意されている。
けれども、色があるからこそ、争いが起きる。
僕の体はどんな色でも透けて通してしまう。
だから居場所は無いかもしれないけれども
僕の中には 争いがない』
そう気がついた時
今まで、世界がどこかもやもやと
常に霧がかったように見えていたものが
すっぱりと晴れたんだ!
ノア。
世界ははっきりと色づいているものばかりだ。
僕はずっと、そのはっきりとした色を
羨ましがり、追い求めてきた。
居場所が欲しかった。
けれども、色がはっきりとしているということは
その分、争いも絶えない。
僕は、その争いの中に居ない。
そこで初めて、僕は自分の生きがいに気がついたんだ。
それは、『見ること』だよ」
気がつくとドリーは
再びノアの方を向きながら
自身で掴み取れた答えについて
ノアにそう伝えました。
「見ること…?
見るだけなの?」
ノアは正直に、見るだけだと
飽きてしまうんじゃないかと
思ったものですから
ドリーにその疑問を投げかけました。
けれどもドリーは、とても満足そうに
ちょっと恥ずかしそうに言いました。
「そう、見るだけだ。
見ているだけ。
でもちゃんと、見ていればいい。
僕は、この透けている体だからこそ
白鳥にも、カラスにも
虹色のインコやオウムにも
見えない世界が見渡せる。
それが僕の、本当の生きがいだって
きっとあの絵描きが教えてくれたんだ。
僕はしばらく
どうして微かにでも
僕の体に色が着いたのか
分からなかったんだ。
でもきっとそれは
「透けた姿だからこそ、見える世界がある」って
いつでも思い出させてくれるためなんだと思う。
もし、全く色が着いていない元の体だったら僕は
そのことを忘れ、また、見ることをやめて
求めることを始めてしまうはずだからね」
ノアは、自分の肩に乗ったドリーが
なぜだか、さっきよりも一回り小さくなったように感じました。
けれども、ドリーの体は更に
澄んだ黄色をしているような気がして不意に
「ドリー。その絵描きの名前はなんていうんだい?」
そう質問をしていました。
するとドリーは少し
クチバシをぎこちなく動かしながら
「ソフィア、っていう名の絵描きだったよ」
ドリーは、木々の隙間から
漏れてくる空をボーっと眺めながら
呟きとも言える声色で
ノアの質問に、そう答えました。
少し強い風が吹き込み
二人の周りでざわざわと
葉音が奏ではじめます。
ドリーの体が
その木の葉たちの色を投影させて
緑色になり、空色になりながら
「ノア。
僕には、どうして君が
おぼろげな体をしているのか。
その理由までは分からない」
ドリーは空から視線を反らし
なぜか、一生懸命
ノアの瞳を見つめようとしているようでした。
「けれどもきっと君は
その答えにたどり着けると
僕は思うよ、ノア」
更にドリーは少しばかり
お尻のあたりの羽根を
ぶるぶると震わせていました。
「僕の体がなぜ透けているのか
その本当の理由が分かったように
君の体がどうしておぼろげなのか
君自身が理解出来る瞬間が
きっと訪れるはずだよ」
てっぺんに昇ったかに思われるお日様が
ドリーの体を照らすと
その光は、ドリーの体の中で
深く彩り始めたかのように見えて
「君は優しい動物だ。
そして何より君は
僕が生まれて初めての…」
そう言いかけた時
ドリーの瞳から、透明な雫が溢れて
微かに黄色い色をした頬に流れ落ちた瞬間を
確かにノアは見たのです。
ドリーは、ノアの肩から
トン、と羽ばたき、高く飛び去って行きました。
ノアは思いました。
どうしてドリーの体は
絵描きのソフィアによって
微かに黄色い体で
彩られていったのか。
それはきっと
ドリーの流す涙が
どこまでも綺麗な透明であるから
ドリー自身の体も透明のままでは見えなくて
それはあまりにももったいないからだ、と。
ノアは走り始めました。
いつの日よりも、もっと早く もっと速く
ドリーの言葉がノアの心の中で
弾けては消え 弾けては消え
けれども、その繰り返しの中で
どんどん、何かが胸の中で大きくなっていって
ノアはどうしても走らずには居られなかったのでした。
「ドリー…!
僕もきっと、君と同じように
おぼろげな体である理由を…」
そう口にしたその時でした
走るノアのすぐ目の前で
落ち葉が竜巻型に吹き上がり
とてつもない勢いの、風の衝撃が
ノアに向かって襲いかかってきたです。
ノアはとてもビックリして
急ブレーキを踏むかのごとく
走る足を止めました。
すると、巻き上がる落ち葉の中から
一匹の動物が現れ、こう言いました。
「君、なかなか走るのが速いね!
どう?僕と競争しない?」
続く
CryptoPhotoFOX 第二話 生まれて初めての仲間 作:OChOK